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例えば、20年、30年前にはなかったことですけど、街のあんちゃん、おっさんたちがウィキペディアで仕込んだばかりの一知半解の知識で、「こんなことも知らないのか」と学者に向かって喧嘩を売ってくるようになった。この人たちって、単一の論件については偏執的に詳しかったりするのです。数値や日付や書名や人名をぺらぺら諳んじてみせる。そして「自分のような素人でも知っていることを知らない学者にはこの論件について語る資格はない」と一刀両断する。ほとんどこのワンパターンです。彼らにとっては情報というのは「量」ではかるものであって、「質」についての判定がありうるということを知らない。彼らは学者というのをただ「知識を大量に持っている人」だと見なしているので、自分が知っていることを知らない人間はいきなり「自分と同程度かそれ以下」に格付けされる。だから、彼らは必ずまず「私はずぶの素人ですが」とか「ものを知らない人間ですけど」という名乗りをしてきます。別に謙遜しているわけではなく「バカでも知っていることを知らない」というレッテルを他人に貼り付けたいだけです。
これ、やれば簡単なのです。統計数値や年号の一つでも覚えておいて、専門家に「あなた言えますか?」と訊いて、答えられなければ「論ずる資格なし」と切り捨てることができる。この専門家を切り捨てることの全能感はたいへんに強烈なので、一度味をしめた人間は必ずこれにアディクトしてしまう。そして回復不能の情報弱者へと自己形成してしまう。
専門家も知らないような知識にすぐにアクセスできるというのはネットがもたらしたすばらしい恩恵ですけれど、それは同時にある種の全能感を人々に安売りしてしまった。体系的な勉強なんかしなくても、キーボードをちゃかちゃか叩けば、この世のことはすぐに知れると思い込んでいる。
すごいと言われたい症候群も、がっかりされたくない症候群も、バカにされたくない症候群も、つまり他人にコントロールされている。

Twitter / 為末 大

今の自分だ・・・

(via norio3bon)

nekogin25:

下北のフレッシュネスバーガーにこんなのいた:twitpic
yellowblog:

笑顔になるBOT on Twitter: “鮭の逆襲www http://t.co/GD3hYmezKB”
「残酷だから」で思い出すのはカラーひよこ。本来使い道のないオスのひよこをそのまま捨てるのはもったいないからと色をつけて縁日で売っていたが、動物愛護団体の抗議でやめざるを得なくなり、結果オスのひよこは生まれてすぐ殺されることになった。
Twitter / reekonn (via mug-g)
仕事で「俺は言い方はキツすぎるかもしれないけど間違ったことは言ってないからわかってほしい」とか言ってる人を見ると、いいトシしてずいぶん甘ったれてんなぁと思ってしまう。
・20歳とかでコスプレの力を借りないとエッチで興奮できないっていう男は、変態のまま還暦を迎えるよ
 人間はあまりに早いことが処理できなかったりする。セーブボタンを押したときに、最近のPCやクラウドでは0.1秒でデータがセーブできる。0.1秒の間に「セーブ中」「セーブ完了」と表示されてもユーザーには伝わらない。むしろユーザーは「これ、本当にセーブできたのかな」と不安になる。そういうとき、実際のセーブが0.1秒で終わったとしても、わざわざ0.3秒くらいかけて「セーブしています」と砂時計をくるくるまわしたり、「セーブ完了しました」という表示を出したあとに、0.5秒くらいかけてふわっと消えるような表現をすることで、ユーザーに「ああ、コンピュータはちゃんと仕事をしてるんだな」とわかってもらえる。
「日本人はお酒を神様に捧げるものだと考えているから評価が厳しい、西洋人はワインは神様からの贈り物だと考えているからいつも褒める」っていうのを見て感心した覚えがある。